痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

アイコニック

一週間ほど前から、パリに来ています。

あと一ヶ月くらいはいる予定。

 

思ったことを4つくらいざざざっと書きます。

 

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エッフェル塔がレースの刺繍みたいで良い。

エッフェル塔はパリのアイコンとしてかなり陳腐だと思っていたけれど、ロラン・バルトの「エッフェル塔」を読んで、その陳腐さがエッフェル塔の本質なのだと思い直した。

語るところがなく、担う機能がなく、ただアイコンとしてそびえ立つ、それだけを本質とするランドマークって他の都市にもあるのかな。

 

 

フランス語の授業では500回くらいrの発音を直されて、こんな音は日本人の口の形に馴染まんのじゃと思ったけれど、こっちに来てみたら意外と通じる。

未だに馴染まないまま口に出している「トゥ」とか「モワ」とかいう音がちゃんと意味をもって通じてるってことが不思議。

 

 

私は小心者だし、英語もイマイチだし、そもそも家が大好きだし、あんまり旅向きの人間じゃないと思うのだけれど、ひとつ、これだけは良かったと思うのは、好き嫌いがほとんどないこと。

読めないメニューから適当に注文する博打を打てる。

何が出てきても大抵おいしく食べられる。

食に限らず、こだわりがないことは旅においては美徳だと思う。

日本を発つ前に、梅木達郎の「放浪文学論」を読んだ。

異邦人として他者に出会うこととはどういうことか、歓待する-される関係は何によって成り立つのかを考えることになる。

これから旅に出る知り合いがいたらおすすめしたいなー。いないけど。

他者、自分と異なることを本義とする存在に出会うことによって、自分もまた異なる存在として変質させられていく。

他者との遭遇は、それによって自分もまた異なる存在として、こだわりの外に引きずり出されること。

異邦人として迎え入れられようとする者は少なくともその用意がなければならない。

こだわりを捨てること、所属に固執しないこと、同一性の外に出ること、これが歓待を受けるルール。

かなり納得したんだけれど、結局私はこだわりを捨て切ることはできなかった。

やっぱり読むだけじゃ難しいね。

これじゃなきゃだめ!ってものはコンタクトと口紅くらいしかないからもっと身軽になれると思ったけれど、スーツケースは20キロになっちゃって、意外と物に固執してるんだなと気づく。

リュックサックひとつでどこにでも行けるくらい身軽になれたらよかったけれど、やっぱりあれもこれも。

飲食店でおしぼりが出てこないなんて生理的に無理だからウエットティッシュは絶対いるし、風邪を引きやすいから常備薬とカイロとヒートテックも山ほど必要。

あれもこれも本当はいらなかったね、といつか思えるのだろうか。

 

 

一番好きな絵、ルノワールの「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットの舞踏会」を朝イチの誰もいない部屋で観て、やっぱり泣いてしまった。

生で観るのは4回目なんだけど、やっぱり「今ここ」の身体感覚に訴求する力が強い絵だなあと思う。

生活の真綿のような苦しみも、鉛のような喜びも全部認めてひっくるめて、それでも私の窓から見えるこの景色が一番美しいと言いたい。

「今ここ」が私にとっての世界の全てで、それより大切なものはないと言い切る勇気が欲しい。

何が起こっても、何も起こらなくても、自分の生活を他の何よりドラマティックにまなざしていたい。

生きることはたしかに無限の反復で、それ以下でも以上でもないけれど、それを認めてもなお気が狂わずに暮らしを愛することのできる知恵が欲しい。

まなざしと思想だけを唯一のこだわりにして他には何も持たずに生きていけたらいいのに、それができないところが暮らしの難しさだね。

かっこつけても所帯染みなきゃ生きてはいけない、物を持たなきゃ立ち行かない。

結局どこに行っても暮らしのことばかり考えている。