痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

彼について、あるいは誠実さについて

一年くらい前に好きだった男の子に、突然呼び出された。

 

おしゃれで、趣味がよくて、律儀で、人間らしい男の子だった。

私のほうが年上だったけど、とくに音楽とタバコの趣味は、彼からたくさん影響を受けた。

とにかくすーーっごく好きで、ふたりで海を見にいったりもしたけれど、どうにも脈がなくて、あまりにも脈がないからこのまま吐き捨てるように告白してそのまま縁を切ろうかと思ったほどだった。

ぎりぎりのところで踏みとどまって告白はしなかったけれど、あまりの脈のなさに勝手に傷ついて、半年以上連絡をしなかった。

 

それが今日、突然の電話で「ちょっと会えませんか」なんて言われたものだから、「アムウェイの勧誘か?」と思わず身構えた。

 

結論としては、アムウェイじゃなかった。

しばらく連絡をしなかったこと、借りた本を一年近く返さなかったことを謝りたかった。

縁が切れたのかと思ったけど、どこかで会ったときに気まずくなりたくなくて連絡した。

また仲良くしてほしい。

大学生の間だけじゃなくて、社会に出てからも付き合いを続けていきたい。

というようなことだった。

 

なにこれ、最高。

「 末長くお友達宣言」をされたわけだけれど、もう、いい。全然いい。

 

バツグンにおしゃれで趣味がいい男の子がわたしの話を聞いてくれて、一緒に出かけてくれて、好きな歌を一緒に口ずさんで、共感してくれる。

影響を受けること、与えること。

それだけで最高に誇らしくて、何度も反芻して、思い出だけで生きていけるような、そんな気持ちがする。

そういう相手だった。

 

買い物に行けば、彼のスニーカー選びに私がアドバイスして、私の財布選びを彼が手伝う。

わたしが、最近なんかQUEENが好きなんだよ、とか、ユーミンばっかり聴いちゃうんだよ、と言うと、彼がQUEENのギターソロは最高という話とか、ユーミンのベストアルバムの「海を見ていた午後」から「中央フリーウェイ」に繋がるところが最高という話をする。

私の好きな絵の話をしたり、彼の好きな映画の話を聞いたりする。

「私たちは似ているから、私が好きなものはあなたも好きなはずだ」とお互いがなぜか確信している。

彼の父親が亡くなったときは、「自分のために生きてくれる人のために、その人からのまなざしに応えるために生きざるを得ない私たちについて、まなざしが失われるおそろしさ」ということを、小さな声で、ぼそぼそと朝まで話した。

 

本当に、告白しなくてよかった。

告白しなかった後悔はよく取り沙汰されるけど、告白しなくてよかった、これが正解、とはあまり聞かない。

告白して困らせてやりたかったし、気まずい思いをしてほしかったけれど、ぎりぎりのところでしなかった、過去の選択が報われた気がした。

勝手に傷ついて勝手に疎遠になった私に、これからも会いたいと言ってくれる。

それはもう価値のある言葉だった。

そして、かつての私の態度は、「良き友人」としては誠実なコミュニケーションではなかったと反省して、恥ずかしくなった。

これからはデニムを履いて会いに行けるし、困らせたいなんて思うこともないでしょう。

 

 

テラスハウスの夜

昨晩は、大学2年生の男の子ふたりと、徹夜でテラスハウスを観る夜だった。

ふたりともバンドマンで、家にはレコードがあって、本棚には浅野いにお市川春子東村アキコがある。

モラトリアムのための館って感じ。

いままでわたしの周りには、「俺たち暇なんすよ」って言って、毎日集まってはレコードを聴いて、ゴロゴロして、週に数時間だけ楽器を弾くような生活をしてる男の子はいなかったので、少なからず新鮮。

享楽的で退廃的だけど、堂々とモラトリアムしてて、羨ましいと思った。

 

けっきょく明け方6時までテラスハウスを観て、1限と2限は諦めて、昼頃にのっそりと起きて3限に出る。

 

予定は詰まってたほうがいい、

暇よりかは忙しいほうが充実してる、

何かに夢中になることが好ましい、

どこかで何かの役割を担うことはいいことだ、

という価値観に逆らうこと。

普通のわたしは、彼らがとても羨ましかった。

 

わたしにとって、「確かなもの」は何だろう。

「守るべき生活」って、どこからどこまで?

ああ、けっきょく悩むことをやめられないわたしには、享楽的で退廃的な生活は、どだい無理かもしれないね。

 

SBRとジョジョリオン、喪失と再構築

SBRジョジョリオンについての雑記。

個人的には、SBR以降のジョジョは、主人公が「弱者」であるという点が素晴らしい。
記憶とか身体とか、かつて「自分を自分たらしめていたもの」を失った彼らが主人公である以上、必然的に問いは内省的なものになるからだ。


6部までは、「世界」は自己の外側に無限に広がるものだったけれど、SBR以降、世界は自己の内に探し見出すべきものになった。
自分を定義していたものを大部分失ってしまっても生は地続きで、「再生」がどこかに存在するのかすらわからないまま人生は続く。
喪失と再構築。


たとえば、下半身を失って、地面を這って進むジョニィの姿は、とても象徴的だと思う。
かつて誰よりも早く走れた少年は下半身を失い、すなわち何もかもを失ったと打ちのめされても、そこで人生は打ち切られない。
這ってでも戦わなきゃいけない。
地を這って進む姿から新たな自己を構築しなきゃ、どこにも行けないままだ。
普通の人が普通に持っているはずのものをなぜか自分は失っている。
取り戻すための、マイナスからゼロへ向かうための旅。

 

定助もまた、すべてを失っている。
自己の同一性を保証するのは記憶だ。
「わたし」の歴史が、今日のわたしをわたしたらしめている。
記憶の中で都合よく行われる編集と改竄も含めて、「わたし」だ。
「わたしが覚えておきたいもの」の集合体が、今日の「わたし」なのだ。
自己の歴史を辿る旅。スタート地点に立ち戻るための旅。

 

SBR以降のジョジョたちの旅は、内的な旅だ。
自己を定義するものの大部分を失ったところからスタートする、ふたたび自分の中に「世界」を構築するための旅。
では6部までの、世界を救ったヒーローたちはどう再生した?
世界を救った後も彼らの生活は続く。
ジョセフはシーザーの、承太郎はアヴドゥルや花京院の、ジョルノはブチャラティのいない世界で、どう自己を再構築した?
もう以前の世界には戻れない。
日常は何も変わっていないようで、すっかり変わってしまった。
悪に世界が変えられてしまわないための戦いで、彼らはいくつかの大切なものを失い、勝利したが、なお世界は現状維持だ。


6部以前にも「喪失」は描かれることなく存在した。
だがSBR以降は、すでに「喪失」しているところから物語が始まる。

「変わってしまった世界に放り出されて、そこからいかに自己を再構築するか」という内省的な問いが描かれることとなった。
何を失おうが人生は続いていくということ、内的な旅は外的な旅と同じくらい壮大でありうるし、内省的な問いはわれわれが向き合うべき普遍的な価値のあるものだということ。


身体や記憶を失った「弱者」であるジョジョたちは、非常に象徴的に、これらの内省的な問いを発信することとなる。

喪失した「弱者」が再構築を経て、自分の人生の主導権を取り戻していく物語。

だから、わたしはSBR以降のジョジョが好きだ。

 

ジョジョリオン、メモ

ジョジョリオンを7巻まで読んだので、雑記。

ジョジョの7部以降、たぶん好き嫌いは分かれるんだろうけど、わたしはすごく好きです。

スケールは小さいけれど、情緒的だと思う。

問いが内省的なものにシフトしている。

自分が何を失ったら自分じゃなくなるのか、何が自分を自分たらしめているのかを探すことは、いつだって旅だ。

SBRはもちろん、ジョジョリオンも、東北の小さな街から出なくっても、すごく「旅」的だと思う。

自分が何者かわからなくったって存在してしまっているし、捨てようが忘れようが血と育ちからは逃れられないし、記憶があったって自分が何によって規定されてるのかなんてわからない。

この内省的な問いと、答えを探す「旅」に共感したい。

なのでわたしはSBR以降のジョジョが好きだし、これからもっと好きになると思う。

 

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」メモ

8月までやってたルノワール展、3回行ったので「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」の印象メモを。

 

・モンマルトルとパリという文脈(労働者と芸術家と富裕層

まず、コンテクストとして、19世紀のパリという場所。革命後、貴族文化が市民にも開放され、文化が花開いた時代、「欲望と消費」の華やかさとエネルギーによって、パリがもっとも美しかった瞬間。

19世紀のモンマルトルという場所。労働者のバラックが並び、人々が貧しく、たくましく生活していた地域。

あるいは、新時代の芸術を目指す芸術家たちが暮らしていた地域。

芸術という嗜好品(贅沢品、なくても生活できるもの)のために衣食住(生活に必要なもの)を削っていた場所。

 

以下はヘミングウェイが若く、貧しかった頃のパリでの暮らし・青春の回想である「移動祝祭日」の最初と最後。

もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。

 

パリには決して終わりがなく、そこで暮らした人の思い出は、それぞれに、他のだれの思い出ともちがう。私たちがだれであろうと、パリがどう変わろうと、そこにたどり着くのがどんなに難しかろうと、もしくは容易だろうと、私たちはいつもパリに帰った。パリは常にそれに値する街だったし、こちらが何をそこにもたらそうとも、必ずその見返りを与えてくれた。が、ともかくこれが、その昔、私たちがごく貧しく、ごく幸せだった頃のパリの物語である。

   

貧しい芸術家たちにとってのパリは華やかで豊かなだけの場所ではなかったけれど、新しい芸術へ向かうエネルギーが沸騰していた時代、モンマルトルはその中心だった。

 

19世紀、パリの消費のエネルギー=「買うこと、食べること、身につけること」への欲望の高まりと、モンマルトルに集まっていた「買うこと、食べること、身につけること」を度外視した芸術へのエネルギー、このふたつのコンテクストが「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」の画面から流れ込んできて、わたしはこの絵を見るたびに胸がつまって、どうしようもなくなってしまう。

 

・日常を切り取るということ

この絵は、絵画というより、ある地点(ムーラン・ド・ラ・ギャレット)の「幸福と祝祭の記憶」として立ち上ったイメージのように思える。

きっと労働者階級の暮らしは楽じゃなかったし、衣食住を削って絵を描くのだって苦しい日がある。

パリで華やかに暮らすのだって楽しいだけじゃないし、そもそもいつの時代にも楽しいだけの生なんて存在しない。

それでもこの画面が切り取るのは、パリ、モンマルトルの、ムーラン・ド・ラ・ギャレットという場所がもっとも明るく美しかった瞬間で、モンマルトルという場所の社会的問題、メッセージ性は存在しない。

むせ返るほどの多幸感。

19世紀パリ、美しく貧しく、華やかでたくましい時代がたしかに存在していたということに、幸福と憧憬を強く感じるけれど、幸福感も憧憬も、行き過ぎると苦しい。

「まさに移動祝祭日だ」と思う。

「移動祝祭日」なんていう造語に、すとんと納得してしまう。

 

そして、溢れ出る多幸感とはうらはらに、絵画から離れれば霧散してしまうような儚さが同時に存在している。

「うつろいやすい日常のその一瞬」を切り取るということは、決してムーラン・ド・ラ・ギャレットの地が記憶する幸福感、パリがもっとも美しかった瞬間の歓びをわたしが家まで持って帰ることはできないということ。

すぐに思い出せなくなってしまう、と思った。

この絵から目を離した瞬間に、わたしは今生きているこの時、この場所に引き戻されて、19世紀パリはまた遠くの憧憬となってしまうだろう、という予感がした。

それはもちろん仕方のないことで、パリの富裕層だって、芸術家だって、わたしだって、格好つけても所帯じみなきゃ生活できないし、今生きている日常は切り取られることなく苦しいことも込み込みで続いていくし。

それでも、たった一晩、この絵の前で眠れたらなあ。

たぶん、それだけでパリはわたしの移動祝祭日になって、どこに行ってもついてきてくれる。

そう思いながら、今も19世紀のモンマルトルを夢見ている。

 

「宇宙と芸術展」メモ

森美術館の宇宙と芸術展のメモ。

 

むかしの/いまの人間が「得体の知れない大きいもの」にどう対峙してきたか(科学によって諒解しようとする行為、創作によって解体/解釈する行為)

宇宙を単なるロマンにとどめず、限りなく近づこうとする人間の営み、あらゆる方法で宇宙を諒解しようとしてきた人間の軌跡の展示

科学の信仰(現代のイコンとしての機能美)

 

 

博物館的な要素があり、すごく楽しかったです。

あと2回くらい行きたい。

生活と労働と夜景

工場夜景がすごく好き、という話。

東京でも、郊外でも、夜に工業地帯を走ればどこでも見られる。 

「工場」「労働」という、華やかさからかけ離れたモノたちは、夜のバイパスにあらわれ出るとき、あまりに美しい。

 

そもそも夜景というのは不思議なものだ。

「綺麗なものを作ろう」として作られたわけではない、ただの生活の灯りの集合だ。

エンターテイメントとして作られたわけでもなく、かといって自然が作った風景でもない。

人々がどこかで生活したり、移動したり、労働したりしている状態を、"外側から俯瞰したとき"に初めて見られる風景なのだ。

「夜景は誰かの残業の灯りなんだよ」と皮肉っぽく言われるけれど、「実際に残業している人は絶対に夜景を認識できない」というのはたしかに面白い。

夜景の美しさと、夜景を構成している人々の生活の泥臭さは、まさにうらはらだ。

 

夜景のなかでも工場夜景は、よりいっそう夜景のもつ「生活と労働」という性格を想起させる。

鋼鉄、機械、ベルトコンベア、重機、単純作業、無機質。

「工場」という場所から浮かぶイメージは、こんな感じ。

工場夜景は、(普通の夜景以上に)「日々の労働」という営みの泥臭さ・単調さと、景色の美しさのコントラストを強調する。

これは、工場労働がどう、という話ではない。

工場夜景は「労働と生産のための灯り」であり、わたしたちはそれを見たときに「こんな時間まで誰かがここで働いているんだ」というふうに、(普通の夜景を見たとき以上に)「労働する個」を想起する、ということだ。

労働と生産のための灯りは、綺麗であるほどなんだか切ない。

 

ところで、わたしは「生活(=労働、睡眠、食事)」というものは何より難しくて、とても尊い、と思っている。

ドラマのない毎日でも、当たり前のように維持するのはなかなか難しい。

わたしたちはすぐに躓く。

社会において役割を担い、全うし続けることは簡単じゃない。

脱落したり怪我したりすることが死に直結しているランニングマシンに乗ってるみたいだ、と思う。

 

わたしが工場夜景を見て切なくなるのは、綺麗であればあるほど泣きそうになるのは、わたしのなかで工場夜景の美しさと「生活と労働」の尊さが結びつくからかもしれない。

工場の"内側"にいる人間は工場夜景の美しさを認識できない。

それと同じように、「生活と労働」は多くの当人たちにとって、地味で平坦なものである。

自分の生活は、夜景として観測できない。

しかし、当人からは絶対に認識できない部分で、「生活と労働」の尊さ・美しさはたしかに存在している。

工場夜景の美しさは、灯りそのものの造形美だけではない。

「労働する個」の泥臭い生活の営みから発される美しさがそこにたしかにある、と思う。

 

夜景の灯りのひとつひとつが誰かの生活で、そのもとにいる全ての人が何かモチベーションを持って、あるいは惰性で、生活を維持したり、あるいは維持できなかったりしている。

その「生活と労働」の存在の仕方に貴賎はなく、自分では認識できないけれど美しいものとして、たしかにあるのだ。

 

今握っているスマートフォンの灯りも、どこかの夜景かもしれない。