ジョジョリオン、メモ
ジョジョリオンを7巻まで読んだので、雑記。
ジョジョの7部以降、たぶん好き嫌いは分かれるんだろうけど、わたしはすごく好きです。
スケールは小さいけれど、情緒的だと思う。
問いが内省的なものにシフトしている。
自分が何を失ったら自分じゃなくなるのか、何が自分を自分たらしめているのかを探すことは、いつだって旅だ。
SBRはもちろん、ジョジョリオンも、東北の小さな街から出なくっても、すごく「旅」的だと思う。
自分が何者かわからなくったって存在してしまっているし、捨てようが忘れようが血と育ちからは逃れられないし、記憶があったって自分が何によって規定されてるのかなんてわからない。
この内省的な問いと、答えを探す「旅」に共感したい。
なのでわたしはSBR以降のジョジョが好きだし、これからもっと好きになると思う。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」メモ
8月までやってたルノワール展、3回行ったので「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」の印象メモを。
・モンマルトルとパリという文脈(労働者と芸術家と富裕層)
まず、コンテクストとして、19世紀のパリという場所。革命後、貴族文化が市民にも開放され、文化が花開いた時代、「欲望と消費」の華やかさとエネルギーによって、パリがもっとも美しかった瞬間。
19世紀のモンマルトルという場所。労働者のバラックが並び、人々が貧しく、たくましく生活していた地域。
あるいは、新時代の芸術を目指す芸術家たちが暮らしていた地域。
芸術という嗜好品(贅沢品、なくても生活できるもの)のために衣食住(生活に必要なもの)を削っていた場所。
以下はヘミングウェイが若く、貧しかった頃のパリでの暮らし・青春の回想である「移動祝祭日」の最初と最後。
もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。
パリには決して終わりがなく、そこで暮らした人の思い出は、それぞれに、他のだれの思い出ともちがう。私たちがだれであろうと、パリがどう変わろうと、そこにたどり着くのがどんなに難しかろうと、もしくは容易だろうと、私たちはいつもパリに帰った。パリは常にそれに値する街だったし、こちらが何をそこにもたらそうとも、必ずその見返りを与えてくれた。が、ともかくこれが、その昔、私たちがごく貧しく、ごく幸せだった頃のパリの物語である。
貧しい芸術家たちにとってのパリは華やかで豊かなだけの場所ではなかったけれど、新しい芸術へ向かうエネルギーが沸騰していた時代、モンマルトルはその中心だった。
19世紀、パリの消費のエネルギー=「買うこと、食べること、身につけること」への欲望の高まりと、モンマルトルに集まっていた「買うこと、食べること、身につけること」を度外視した芸術へのエネルギー、このふたつのコンテクストが「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」の画面から流れ込んできて、わたしはこの絵を見るたびに胸がつまって、どうしようもなくなってしまう。
・日常を切り取るということ
この絵は、絵画というより、ある地点(ムーラン・ド・ラ・ギャレット)の「幸福と祝祭の記憶」として立ち上ったイメージのように思える。
きっと労働者階級の暮らしは楽じゃなかったし、衣食住を削って絵を描くのだって苦しい日がある。
パリで華やかに暮らすのだって楽しいだけじゃないし、そもそもいつの時代にも楽しいだけの生なんて存在しない。
それでもこの画面が切り取るのは、パリ、モンマルトルの、ムーラン・ド・ラ・ギャレットという場所がもっとも明るく美しかった瞬間で、モンマルトルという場所の社会的問題、メッセージ性は存在しない。
むせ返るほどの多幸感。
19世紀パリ、美しく貧しく、華やかでたくましい時代がたしかに存在していたということに、幸福と憧憬を強く感じるけれど、幸福感も憧憬も、行き過ぎると苦しい。
「まさに移動祝祭日だ」と思う。
「移動祝祭日」なんていう造語に、すとんと納得してしまう。
そして、溢れ出る多幸感とはうらはらに、絵画から離れれば霧散してしまうような儚さが同時に存在している。
「うつろいやすい日常のその一瞬」を切り取るということは、決してムーラン・ド・ラ・ギャレットの地が記憶する幸福感、パリがもっとも美しかった瞬間の歓びをわたしが家まで持って帰ることはできないということ。
すぐに思い出せなくなってしまう、と思った。
この絵から目を離した瞬間に、わたしは今生きているこの時、この場所に引き戻されて、19世紀パリはまた遠くの憧憬となってしまうだろう、という予感がした。
それはもちろん仕方のないことで、パリの富裕層だって、芸術家だって、わたしだって、格好つけても所帯じみなきゃ生活できないし、今生きている日常は切り取られることなく苦しいことも込み込みで続いていくし。
それでも、たった一晩、この絵の前で眠れたらなあ。
たぶん、それだけでパリはわたしの移動祝祭日になって、どこに行ってもついてきてくれる。
そう思いながら、今も19世紀のモンマルトルを夢見ている。
「宇宙と芸術展」メモ
森美術館の宇宙と芸術展のメモ。
むかしの/いまの人間が「得体の知れない大きいもの」にどう対峙してきたか(科学によって諒解しようとする行為、創作によって解体/解釈する行為)
宇宙を単なるロマンにとどめず、限りなく近づこうとする人間の営み、あらゆる方法で宇宙を諒解しようとしてきた人間の軌跡の展示
科学の信仰(現代のイコンとしての機能美)
博物館的な要素があり、すごく楽しかったです。
あと2回くらい行きたい。
生活と労働と夜景
工場夜景がすごく好き、という話。
東京でも、郊外でも、夜に工業地帯を走ればどこでも見られる。
「工場」「労働」という、華やかさからかけ離れたモノたちは、夜のバイパスにあらわれ出るとき、あまりに美しい。
そもそも夜景というのは不思議なものだ。
「綺麗なものを作ろう」として作られたわけではない、ただの生活の灯りの集合だ。
エンターテイメントとして作られたわけでもなく、かといって自然が作った風景でもない。
人々がどこかで生活したり、移動したり、労働したりしている状態を、"外側から俯瞰したとき"に初めて見られる風景なのだ。
「夜景は誰かの残業の灯りなんだよ」と皮肉っぽく言われるけれど、「実際に残業している人は絶対に夜景を認識できない」というのはたしかに面白い。
夜景の美しさと、夜景を構成している人々の生活の泥臭さは、まさにうらはらだ。
夜景のなかでも工場夜景は、よりいっそう夜景のもつ「生活と労働」という性格を想起させる。
鋼鉄、機械、ベルトコンベア、重機、単純作業、無機質。
「工場」という場所から浮かぶイメージは、こんな感じ。
工場夜景は、(普通の夜景以上に)「日々の労働」という営みの泥臭さ・単調さと、景色の美しさのコントラストを強調する。
これは、工場労働がどう、という話ではない。
工場夜景は「労働と生産のための灯り」であり、わたしたちはそれを見たときに「こんな時間まで誰かがここで働いているんだ」というふうに、(普通の夜景を見たとき以上に)「労働する個」を想起する、ということだ。
労働と生産のための灯りは、綺麗であるほどなんだか切ない。
ところで、わたしは「生活(=労働、睡眠、食事)」というものは何より難しくて、とても尊い、と思っている。
ドラマのない毎日でも、当たり前のように維持するのはなかなか難しい。
わたしたちはすぐに躓く。
社会において役割を担い、全うし続けることは簡単じゃない。
脱落したり怪我したりすることが死に直結しているランニングマシンに乗ってるみたいだ、と思う。
わたしが工場夜景を見て切なくなるのは、綺麗であればあるほど泣きそうになるのは、わたしのなかで工場夜景の美しさと「生活と労働」の尊さが結びつくからかもしれない。
工場の"内側"にいる人間は工場夜景の美しさを認識できない。
それと同じように、「生活と労働」は多くの当人たちにとって、地味で平坦なものである。
自分の生活は、夜景として観測できない。
しかし、当人からは絶対に認識できない部分で、「生活と労働」の尊さ・美しさはたしかに存在している。
工場夜景の美しさは、灯りそのものの造形美だけではない。
「労働する個」の泥臭い生活の営みから発される美しさがそこにたしかにある、と思う。
夜景の灯りのひとつひとつが誰かの生活で、そのもとにいる全ての人が何かモチベーションを持って、あるいは惰性で、生活を維持したり、あるいは維持できなかったりしている。
その「生活と労働」の存在の仕方に貴賎はなく、自分では認識できないけれど美しいものとして、たしかにあるのだ。
今握っているスマートフォンの灯りも、どこかの夜景かもしれない。
明晰に疲れているということ
わけもなく疲れている。
ここ数日無気力で、夕飯を食べたら気を失うように眠っている。
今日は禁煙も失敗するし、バイトも早退してしまった。
部屋もゴミ溜めのようだし、あーあ、もうだめ。おしまい。解散。
という感じ。
今までは「夏大好き!冬が来ると思うと落ち込む!」ってタイプの人間だったけど、今年はちがう。
秋でも冬でもなんでもいいから、さっさと来て、さっさと終わってほしい。
とにかくこの先1年がわたしのどん底なのだと思う。
「もう一年遊べてサイコー」とは言い切れない、漠然とした将来不安。
一般的な「自立」のコースからは外れてしまった。
目指すものがない。
属するところがない。
有名な大学に入って、4年間楽しく過ごして、最後にこのザマ。
わたしは「かわいそうな人」なのかもしれない。
けっきょく、何をしててもそういう気持ちがつきまとう。
きっと来年就活が終わるまで、このぬるい絶望とともにゆるゆると疲れながら過ごすのでしょう。
わたしの「疲れ」の正体は、この属するところが見つからない「ぬるい絶望」だと思う。
鷲田清一によれば、疲れとは「じぶんがそれに憑かれ、やがてそれじがじぶん自身になるはずのところのものとくい違っていること、つまり自己自身との不一致もしくはずれ」だという。
つまり、自分がいずれたどり着くべき場所・信じるべきものと、今いる場所がずれてしまっている状態が疲れとなる。
鷲田は「疲れているひと」の反対は、「深く眠っているひと」だという。
「この意味の空間、観念や象徴の家にうまく着生した者、そこにうまく住みついた者こそが、うまくだれかたりえたものだということになる。その脆さ、危うさに脅かされることなく<わたし>として、あるいは<わたし>という囲いのなかで、たしかに生きている人というのは、社会的に承認されたある意味の体系により深く憑かれたひとだということになる。」
社会の中で役割や機能を担い、何者かになれた人。
自分が「意味の空間」の中で「うまくだれかたりえ」ていると疑いもなく思えている人。
それが、「深く眠っているひと」だ。
疲れというのは、その深い眠りから覚めたときに感じられる。
今いる場所でうまく機能を担えていないという感覚。
どこであればわたしが「わたしたりえる」のかわからなくて、立ちゆかない感覚。
本来たどり着くべき場所と今いる場所が乖離しているような感覚。
なにかを信じて、憑かれて、それに夢中になって「これがわたしのやるべきことだ」と思えればどんなにいいかと思う。
「疲れのなかで、わたしはじぶんの重さを感じる。からだが重い、からだがだるい。まるで存在が粘度を増したかのよう。なにかに乗り切ることができない。なにかをやりきることができない。なにかにうまく憑かれることができぬとき、人は疲れおぼえる。なにもやる気がしない。」
しかし鷲田は、「深く眠っているひと」より「疲れているひと」のほうが明晰であると言う。
「わたしが同一のだれかであるというのは、なにかになるというその生成の過程のことではなく、なったその完了形である。その完了へといたる途上で、ひとはなにかになりかかったり、なにかになりそこなったりする。その揺れ、その生成の途上が、目が醒めているという状態である。目醒めているというのは、思考や想像力がはたらいているということである。思考や想像力はいまをいまここにないものに、現在を不在に結びつける。目醒めているときにこそ、ひとはそうでありえたかもしれないのに一度もそうでなかったものに深く触れるのである。存在しそこねたもの、あらかじめ挫けたもの、砕かれたもの、つまりは死産したもの、死んで生まれてきたものに、まなざしを届けるのである。悔恨のように、あったものをなかったらと悔いるのではなく、郷愁のように、あったものを過剰にあらせるのでもなく、あることのなかったものをありえたものとして、それをずっと引きずっている感覚。そこに疲れのひとつの形がある。
憑かれているひとより、疲れているひとのほうが、したがって明晰なのである。不可能なこと、どうにもならないことを、疲れのなかでひとはより深く知るのである。だからこそ、よく憑かれていること、つまりだれかとして<だれかになりきって>たしかに生きているときこそ、ひとはぐっすり眠っていると言ったのである。<生>とはひとつの閉塞であり、ありえたかもしれない別の可能性を閉塞することである。<生>がもし開放をこそこととするのだとすれば、疲れているとき、そしてなによりもなりきれないときこそ、ひとはより厚く生きているということになる。」
(鷲田清一「皮膚へ/傷つきやすさについて」思潮社,1999)
最後の文章、すごく好きです。
毎日ぐったりしている。
何もやる気が起きない。
わたしはもっとダイナミックな人だった気がするのに。
朝起きて、一日が始まることに疲れる。
そして、疲れていることに傷つく。
はやく季節が流れてほしいと願う。
でも、今がどん底で体が重いのは、わたしがゴミクズだからじゃなくて、「目醒めている」からだと思ったっていいらしい。
疲れてくたくたになりながら、かつてなりそこなった何者か、なりたかったかもしれない何者か、そういうものに想いを馳せることはちっとも悪くないっぽい。
何者にもなりきれない、何かを深く信じて突き進めないわたしを、なりきれないからこそ「厚く生きている」と言える言語だってあるのだ。
わたしのこの日々は「何かになりきれない・意味にうまく憑かれることのできない人が自己を生成している途上の、意志と心のずれ」という現象でしかないのだとすると、明日もちゃんと息を吸って生きていくしかない、と思う。
「前を向く」ことも「何かを信じる」ことも「地に足をつける」ことも、今のわたしにはむずかしいけれど、明日もどうにか存在しなければならない。
深く息を吸って、またねむる。
溺れるように生きてゆくしかないのでしょう。