痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

「片山正通的百科全書」メモ

オペラシティアートギャラリーでやってる、「片山正通的百科全書」に行ってきました。

 

なんだかすごく動揺して、見終わった後もコーヒーをこぼしたりした。

 

片山氏はインテリアデザイナーで、ピエール・エルメの本店を手がけたりしてる人。

(もっといろいろあるんだろうけど、個人的に好きなのがエルメ本店なので……)

氏の蒐集物、コレクションを展示する、というのがこの「片山正通的百科全書」。

 

以下メモ。

 

蒐集=人の創作物を集める行為って、クリエイションからは断絶してるように見えるけど、蒐集もクリエイティブであるという可能性を示唆してる。

これは、私たちが日常的にしている蒐集、すなわち買い物にまで広げることができる。

たくさんある中から服を選ぶ、本を選ぶ、CDを選ぶ。

買わなくても生きていけるけど、買う=選び、所有することで自分の輪郭をなぞる。

買い物は、日常化されたクリエイティブなのかもしれないね。

 

 

そしてもう一つ思ったのが、ここは無意味の家であるということ。

「意味の家」というのは鷲田清一が「皮膚へ−傷つきやすさについて」で用いた言葉。

有用性、機能性、「役に立つ」という価値基準を信じ、コミュニティに属し、規律を与えられ、ゴールがあることを疑わず、目指すべき場所をまなざせている状態、これが「意味の家」に住み着いている、ということだという。

「片山正通的百科全書」はその逆で、終わりのない「無意味の家」に閉じ込められたような気分にさせる。

規律はなく、ゴールもなく、無秩序な価値基準のもとに集められた無意味のモノたち。

「意味」と「無意味」には優劣がないということをあらためてハッとさせる。

「意味があること」が価値だと思ってる人、目的に基づいた有用性、機能性があればあるほどいいと無自覚に思っている人(意味と無意味の間の優劣なんか考えたこともないという人、けっこういると思う)は、この「無意味の家」に入れられたら気が狂っちゃうんじゃないか?と思う。

私はかなり無意味を愛してるほうだと思うけど、それでもだんだん心細くなって仕方がなかった。

無意味に身を投じることは、人間の最大の贅沢だろう。

途中までは、無意味の城が人間の理想郷かもしれない、とすら思った。

けれど後半、だんだん他の入館者の姿が見えなくなって、順路もごちゃごちゃしてきて、すごく静かで……。

世紀末、もしくは世界が終わった後、ディストピアが滅びた後に迷い込んでしまったような心細さがあった。

秩序が見えない、終点もない、それぞれ違った角度から価値を見出されて一箇所に集められたモノたちの羅列。

無意味の羅列はディストピア的である。

 

最後にカーテンを開けたら、おじぎ福助人形がぽつんとこちらにこうべを垂れていて、泣き出したいような気持ちになってしまった。

正直怖い。

やっぱりディストピアだ。

そういうわけで、そのあと入ったエクセルシオールでも動揺してコーヒーをこぼした。

 

 

映画よりよっぽどドラマチックかもしれない、そんな土曜日だった。

 

 

 f:id:umkcc:20170513150335j:image

片山正通的百科全書 Life is hard... Let's go shopping.
The Encyclopedia of Masamichi Katayama “Life is hard... Let's go shopping.”

期 間:2017年4月8日[土]─ 6月25日[日]
会 場:東京オペラシティ アートギャラリー