痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

生きづらさについて、あるいは彼女について。

 

大好きな友達のことを書きます。

 

大学一年の時に知り合った、一つ年上の女の子。

小さなタトゥーを体の3箇所くらいに入れていて、緑とか、銀とか、奇抜な髪の色をしていた。

いつも高くてごついヒールを履いて、ピタッとした、隙のない服を着ていた。

見た目も尖っていたけれど、中身はもっと尖っていて、彼女の口癖は、「23歳になったら自殺する」だった。

 

私がとくに好きだったのは、悪口がめちゃくちゃ上手なところ。

「病気のチワワみたいな顔」とか、「手がすでにブス」とか、パワーワードをバンバン産み出して、バサバサ切り捨てていくような子だった。

 

その反面、友人相手にはどこまでも懐が大きくて、気前が良かった。

私がどんなふうになったって、どんな人と付き合ったって肯定してくれた。

ほんとうに愛情深い人だった。

 

美人で、ストイックで、料理も歌もプロみたいに上手くて、何もかもを持っているように見えるのに、何もかもを嫌っているような女の子だった。

いかつい見た目とは裏腹に、虚弱な体質で、すぐに疲れてしまうから、放っておけない部分もあった。

精神的にも、表面上は気が強そうな態度をとるけれど、その実、孤独感が強くて、目が離せない不安定さがあったので、私は内心ヒヤヒヤしていたのだ。

「23歳で自殺する」という言葉が、ハッタリで済ませられないようなリアルさで、私に取り憑いていた。

 

 

 

そんな彼女が、去年、専門学校を卒業して、就職した。

アパレルの販売職で、「3年間働いて、英語身につけて、憧れてる海外ブランドに転職する!」と言っていた。

「23歳で自殺する」が口癖だった彼女が、数年先の未来を見ている、と思うと、なんだか泣けてきてしまってしょうがなかった。

 

出会った頃は、ひとりで生きていく、誰もわかってくれない、みんなカス、でもそんな自分が一番カス、って顔をしていた。

私は彼女ほど奇抜な格好をする勇気もなかったけれど、呼応する部分はあったのかもしれない。

生きづらい10代の感性で、自分の脆さを信じて、周りを切り捨てることに必死だった。

あれから3年経って、私も彼女もティーンではなくなった。

人と出会って、別れた。

人を好きになったり、嫌いになったり、選んだり、選ばれなかったりした。

彼女は唯一の家族を亡くし、後悔と喪失の中を、手探りで、少しずつ立ち上がっていった。

 

 

彼女が就職した時、奇抜で派手なものを好む彼女に、初めてシンプルなピンクの口紅を贈った。

無難で、誰にでも似合うピンクを選んだ。

就職するなら、こういうものも必要だろうと思ったから。

 

あれから10ヶ月経って、彼女はまだ、健康に働いている。

病弱で、すぐバテてしまう彼女が、と驚いた。

(以前、私もアパレル販売のバイトをしていたけれど、ものすごく体力と気力のいる仕事だった)

「体調崩しても休めないからさ、必死に生きてるよ!」と言っていた。

必死に生きてるのか、ならよかった、と心底思う。

 

彼女は今年、24歳になる。

自分の生きづらさに蓋をして、必死こいて生きるほうを選んだのだ。

美しい、と思う。

かつて、尖り散らしていた彼女が大好きだった。

繊細で、屈折した、生きづらそうな悪意が好きだった。

でも、これからの彼女がかつての繊細さを失って、たくましく、所帯染みながら、目の前の生活に必死になったとしても、いや、そうであればこそ、ますます美しいなあと思うだろう。

 

 

ダサくてもいいからさあ、なりふり構わず、必死こいて生きようね。

私もあなたも。