読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

痛ましいほど楽園

就留女のたのしい毎日

SBRとジョジョリオン、喪失と再構築

ジョジョの話

SBRジョジョリオンについての雑記。

個人的には、SBR以降のジョジョは、主人公が「弱者」であるという点が素晴らしい。
記憶とか身体とか、かつて「自分を自分たらしめていたもの」を失った彼らが主人公である以上、必然的に問いは内省的なものになるからだ。


6部までは、「世界」は自己の外側に無限に広がるものだったけれど、SBR以降、世界は自己の内に探し見出すべきものになった。
自分を定義していたものを大部分失ってしまっても生は地続きで、「再生」がどこかに存在するのかすらわからないまま人生は続く。
喪失と再構築。


たとえば、下半身を失って、地面を這って進むジョニィの姿は、とても象徴的だと思う。
かつて誰よりも早く走れた少年は下半身を失い、すなわち何もかもを失ったと打ちのめされても、そこで人生は打ち切られない。
這ってでも戦わなきゃいけない。
地を這って進む姿から新たな自己を構築しなきゃ、どこにも行けないままだ。
普通の人が普通に持っているはずのものをなぜか自分は失っている。
取り戻すための、マイナスからゼロへ向かうための旅。

 

定助もまた、すべてを失っている。
自己の同一性を保証するのは記憶だ。
「わたし」の歴史が、今日のわたしをわたしたらしめている。
記憶の中で都合よく行われる編集と改竄も含めて、「わたし」だ。
「わたしが覚えておきたいもの」の集合体が、今日の「わたし」なのだ。
自己の歴史を辿る旅。スタート地点に立ち戻るための旅。

 

SBR以降のジョジョたちの旅は、内的な旅だ。
自己を定義するものの大部分を失ったところからスタートする、ふたたび自分の中に「世界」を構築するための旅。
では6部までの、世界を救ったヒーローたちはどう再生した?
世界を救った後も彼らの生活は続く。
ジョセフはシーザーの、承太郎はアヴドゥルや花京院の、ジョルノはブチャラティのいない世界で、どう自己を再構築した?
もう以前の世界には戻れない。
日常は何も変わっていないようで、すっかり変わってしまった。
悪に世界が変えられてしまわないための戦いで、彼らはいくつかの大切なものを失い、勝利したが、なお世界は現状維持だ。


6部以前にも「喪失」は描かれることなく存在した。
だがSBR以降は、すでに「喪失」しているところから物語が始まる。

「変わってしまった世界に放り出されて、そこからいかに自己を再構築するか」という内省的な問いが描かれることとなった。
何を失おうが人生は続いていくということ、内的な旅は外的な旅と同じくらい壮大でありうるし、内省的な問いはわれわれが向き合うべき普遍的な価値のあるものだということ。


身体や記憶を失った「弱者」であるジョジョたちは、非常に象徴的に、これらの内省的な問いを発信することとなる。

喪失した「弱者」が再構築を経て、自分の人生の主導権を取り戻していく物語。

だから、わたしはSBR以降のジョジョが好きだ。