痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

あり余る裕福な

 

生活がすべてで、生活が趣味。

そのわりにはていねいな暮らしなどほど遠く、お気に入りのパジャマも皿洗いの泡でびちょびちょ、そんな生活。

ありもので作った茶色いパスタに「意外といけるじゃん、天才」と思う日々。

生活はすべてに優先すると誰かに肯定してほしい。

淡々と進む生活がもっともドラマチックだと言ってほしい。

 

皿洗いをしてある間に袖がずり落ちて、「ああー…」と思っている間に濡れていく。

誰も雪かきしないから、うちのマンションの前だけいつまで経っても歩きにくい。

お風呂で爪がぐにゅってなる感じとか、掃除機で服とか吸っちゃってズボボッてなる感じとか、何度でも新鮮に嫌だなあ。

 

音楽とか芸術とかファッションとか仕事とか、ぜんぶ生活をなるべく機嫌よくやり過ごすための知恵なのに、それを口に出すのは息苦しい雰囲気。

 

楽に生きることって、ひとつずつ呪いを解いていくことかもしれないと思う。

髪を乾かすのを忘れて、翌朝パサパサ無造作ヘアーで出勤したら「パーマかけたの?今日いい感じだね」と言われて、ひとつ呪いが解けた。

ひとたびお風呂に入ったら、化粧水をつけて乳液をつけてストレッチして髪を乾かしてオイルをつけるところまでがセットだった。

だからお風呂は面倒で、でも入らないで寝ると翌朝もっと面倒だった。

ひとつ呪いは解けて、今日から私は髪を乾かさないで寝ることができる。

 

呪いを解くように暮らしたい、と思う。

もう、なんでもありだよ。

同性愛とかセフレとかtinderとかなんでもいいよ。

男女の友情の有無とかナンセンス。

人ひとりが、あるいはふたりが、なるべく泣かないで生きていけるなら別に、いいよ。

みんな、機嫌よく生きたいだけ、泣かないで暮らしたいだけ。

 

何も持っていない人にも、生活だけは残り続ける。

生活は、身体性と同じくらい固有で、残酷。

身に余る趣味。

 

人生のこと、「徳積みゲーム」以上のものに思える日がいつか来るのだろうか。