痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

テラコッタの心臓

私は辛気臭い人間なのだと思う。

一方、母はさばけた人で、神経が結構太い。

 

私は「お腹が痛かったり熱が出たりすると必ず泣いてしまう」という赤ちゃんみたいな体質で、それも含めて情けなくて、さらに泣けてくる。

今日も昼食のエビフライでお腹を壊して、布団の中で泣いていた。

「あのエビフライめ〜!クソー!シクシク…」という気持ちと、「こんな赤ちゃんみたいに泣いて私は…シクシク」という気持ちで、すっかり湿った気分だった。

ちょうど母から電話が来たから、「23歳なのにこんな…」と泣きながら言ったら、彼女は爆笑しながら「23歳なのにねえ〜!」と言ったのだ。

何がおもろいねん。

具合の悪い娘が遠くからシクシク電話してんねんぞ。

 

「なんだこいつ」と思うけれど、「この人が辛気臭くなくてよかった」とも思う。

私は「寒くてつらい」「コップの持ち手が熱くてびっくりした」「お腹が痛い」「なんかわかんないけど生活の苦しみを感じる」などの理由でよく泣くけれど、母はそれを見て「泣いてんの(笑)」で済ませる。

私は別にしっとり暮らしたいわけでも、カウンセリングしてほしいわけでもないから、それでいいやと思う。

彼女の無神経さと私の辛気臭さで、バランスを取りながらふたりで暮らしている。

 

そしてこういう時、ふと「私はこの人とずっとふたりで、たったふたりで暮らしてきたんだな」と思う。

母と娘という関係の奇妙さに思い至る。

不健全なくらい、母には私だけ、私には母だけで、ふたりっきりで暮らしてきた。

家出をしたり、修復不可能なくらい喧嘩をしても、お互い他に行くあても、頼れる人もいなかった。

私のほうが神経が細くて小心者だけれど、声も性格も嗜好もよく似ている。

これからも、辛気臭さのバランスを取りながら、よく似た母娘として暮らしていくんだろうなあ、と思うと、不自由ながらも心強く、奇妙なこころになるのだ。

 

 

 

(ブログではお腹を壊したことばっかり書いている気がするけど、まったく虚弱ではない。

ただ、お腹を壊してる時と熱がある時って、なんだかすごく惨めで、ひとりぼっちで、誰も助けてくれないような気分になる。

トイレに座りすぎて電気が消えて、真っ暗な中、慌ててセンサーに手を振っている時とか、とくに。

そんな時ばっかりブログを書きたくなるから、胃腸が弱くて神経質な人っぽくなっちゃう。

普段はべつにナーバスじゃない。

何でもよく飲み、よく食べ、よく笑う人だと思う。

平均より胃腸も丈夫だし)