痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

ここがロドスだ、ここで跳べ

 

2年ぶりに家系ラーメンを食べたら、こんな時間にめちゃくちゃお腹を壊すハメになった。

 

 

2年前、大道具を作っていた頃は、よく深夜に作業を抜け出してラーメンを食べに行っていた。

油そばや牛丼かもしれなかったし、あるいは深夜の公園で花火やバレーボールをしたこともあった。

多分何でもよかった。

何をしていても、自分が「若い」ということに自覚的だったと思う。

大学近くのラーメン屋が何時までやっているか、どこのコンビニならタバコを扱っているか、全部覚えていた。

 

戻れないなあ、とは思うけれど、別に私だけが戻れないわけじゃない。

お気に入りのカレー屋は潰れたし、安さとカロリーがウリの弁当屋はだいぶ営業時間が短くなった。

 

ノスタルジーってほど大した話じゃない。

ちょっと心細くなっただけ。

お腹を下してる時のあの惨めさって、何なんだろう。

気力とか尊厳とか、そういうものも一緒に流れていってしまう感じがする。

ひとりぼっちで、誰にも頼れないと、どんな時より強く思う。

 

 

22歳を過ぎてからはよくお腹を壊すようになって、自然と何キロか痩せた。

フードファイターを名乗っていた頃に、胃腸だけは戻りたい。

ダイエットなんかしないで、菓子パンとか焼肉とか寿司とかラーメンとか、好きなだけ食べたらよかった。

固め・濃いめ・多めで、大盛りにして、白米もつけて、深夜何時だろうが食べたらよかった。

ビュッフェだって、恥ずかしがって友達に合わたりしないで、自分のペースで10回でも往復したらよかったんだ。

「○キロ以下になったら、お祝いにすたみな太郎に行く!」とか言ってないで、毎週でもすたみな太郎に行ったらよかった。

そのすたみな太郎は、今行かないと二度と行くことのないすたみな太郎なのだから。

 

後悔してるけど、とはいえ人生の後悔がそれくらいしかないのは、私の美点なのかもしれない。

どうせ誰も戻れないんだし。

誰だって、お気に入りのカレー屋がなくなった世界で生きていくしかないんだし。

「ここにあったカレー屋、本当に美味しかったんだよ」って言い続けられればなあ、せめて。