痛ましいほど楽園

就留女のたのしい毎日

続・

 

今日は、最終面接でした。

結果はわかりませんね。

 

追及が厳しくて、的外れなことを言った気もする。

でも逆質問では「いい質問ですね」と言ってもらえた。

そうやって「フラグ」を数えることに意味はなく、膠着。

 

私にとって真実なのは、「受かったり落ちたりすることで人生が劇的に変わるわけじゃない」ということ。

非・劇的なまま、生活は続くということ。

 

なりふり構わず欲しがったって手に入らないものがある。

そして、それでも続いていくものとしての、生活。

 

生活の、そして人生の残酷さは、「終わること」にあるのではなく「続くこと」にあるのだと思うのです。

何を失っても、何が手に入らなくても、すべてがゼロに戻っても、打ち切られない。

私たちの気は、簡単には狂わない。

お芝居じゃないから。

これが一番こわくていやだ。

ゼロのまま続くくらいなら打ち切ってよ、誰か。

今すぐ気が狂えたらずっと楽でしょ。

 

それでも、何もかも失ったような気持ちになっても生活は続くし、気が狂いそうなほど苦しくても気は狂わないと、私は知っている。

おそろしくも、それはひとつの真実であり、希望である。

 

 

 

たとえばの話。

大学時代、もっとも影響を受けた先輩がいた。

舞台に立てば誰よりもストイックでセクシーだったし、芝居を書かせればどこまでも詩的だった。

誰もが惹きつけられ、この人の思想を聞きたがったし、実際面接で落ちたことがないらしい。

そんな彼は、卒業・就職してから鬱病で3度の転職をし、去年、自己破産をした。

1年ぶりに会ったら10キロ痩せていたし、下の名前で呼び捨てだった私のことを、苗字にさんづけで呼ぶようになっていた。

22ミリのショートピースを思いっきり肺に入れて、早く死にたがっているように見えた。

 

それでも彼は死なないだろう。

健康な人だったから。

暇さえあれば筋トレをしていた。

数百人の観客のまなざしを浴びるしなやかな体こそが彼の資産だった。

一年やそこらの自棄で死ねるような体じゃない。

今だって、4度目の転職先で、シフト制の勤務をこなしてる。

その健康さに、救いのなさすら見出せるだろう。

 

それでも、私には彼がゆたかに見える。

本人からしたら、冗談じゃない、と思うだろうけど。

失った人は、失っていない人よりよっぽどゆたかに見える。

これはまぎれもない事実だ。

「あったかもしれない自分」「失ってなかったかもしれない自分」を視界の隅にまなざしながら、それでもギリギリ正気を保って生活を続けること。

叫び出しそうな口をぐっと抑えつけて、飲み込んで、「人間」であり続けること。

これは、ちっとも簡単じゃない営みだ。

 

彼は、彼のシンボルですらあった傲慢さやその風格、どこにでも適応するしなやかさを失っても、「彼」であり続けた。

後輩を呼び捨てできなくなるほど自分を卑下しても、同一性は何も失われなかった。

 

その簡単じゃない歩みを、私はゆたかだと思う。

続いていくものとしての生活を、人生の残酷さを、無限についてまわる同一性という呪いを、受け容れようと思う。

 

これからも、もっとたくさんのものを欲しがるし、手に入らないし、あるいは失うだろう。

こわい。

痛いのは嫌だし、つらい思いはしたくない。

失いたくないし、欲しいものは全部手に入れたい。

何を失っても、最後まで残り続ける「私」の同一性は、もはや呪いである。

そして同時に、どんな局面においても最後まで残り続ける祝福であり、尊厳だ。

やるせがなくても毎日起きて、ご飯を食べて、お風呂に入って寝る。

その営みによって保たれる健康が憎くて、死ににくいからだが枷になる。

それでも、「失った人は失ってない人よりずっとゆたかだ」と信じて、営むしかない。

得ることでも失うことでもなく、続くことにだけ意味があるのだから。

 

 

 

 


  Do you think you're better ev'ry day?

  No I just think
  I'm two steps nearer to my grave

Keep Yourself Alive / QUEEN