息ができないほど
息もできないほど寂しい夜、ありませんか?
吸っても吸っても苦しくて、深呼吸なんかとっくにできなくて、このまま心臓が潰れて死んでしまうんじゃないかって思うくらい、寂しくてやるせない夜がある。
たぶん、誰にでもある。
別に毎日なわけじゃないし、大人だし。
わざわざ人には言わないけど。
だって、「寂しい」なんて、感情のうちでもっとも陳腐なんじゃないの。
まあとにかく、そんな夜には、「みんなも息ができないほど寂しいこと、あるのかな……」なんて思って、ググってみたりする。
それで、この間「息ができないほど」まで入力したら、予測変換に
「息ができないほど 腰が痛い」
って出てきた。
もう完全に持ってかれた。
だって、めちゃくちゃ可哀想じゃん、息もできないほど腰が痛い人。
わたしの寂しさとか本当にちっぽけだよ。
だって実際、息できるもん。
わたしの言う「息ができない」はあくまで比喩でさ。
でも腰が痛い人の「息ができない」はマジでできないんだよ、たぶん。
腰痛いの超つらいもんね。
もうね、わたしの寂しさとか超どうでもいい。
わたしも寂しいくらいで「息ができない」とか言ってらんない。
息ができないくらい腰が痛い人に比べたら、ほんと、全然大丈夫。
まだまだやれる。
どこも痛くないし。
すげー健康。
息ができないほど腰が痛くなくてよかったー!
腰が痛くないこと幸福を噛み締めてるうちに、もう寂しさとかわりとどうでもよくなっちゃった。
息ができないほど腰が痛い、どこかの誰かにすっかり気を取られている。
不思議なことに、もう「息ができないほど」でググっても、予測変換に「腰が痛い」は出てこない。
死にそうなほど寂しかった私の気を散らすためにGoogleが用意した、優しい予測変換か?なんて思わなくもない。
寂しくなった夜には、「息ができないほど腰が痛い」どこかの誰かのことを考える。
「早く良くなるといいね。
痛いとこばっかだけど、気張って息吸って生きていこうぜ」と。