痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

イースター・ハイビスカス・クリスマス

 

今日は、なんだか慣れない気ばかり遣って、何が正解かわからない1日だった。

 

ボランティア先のホスピスには、新しい患者さんがたくさん入ってきた。

来たばかりの人は、まだ自分の命の終わりを受け入れられていないことが多くて、自分の病気や、家族のことを話してるうちに泣いてしまうこともある。

鷲田は「聴くことの力」で、「相手の言うことをおうむ返しにすることは、臨床の場で、苦しんでいる人に寄り添うために有効である」というようなことを言っていたけれど、実際はなかなか難しい。

おうむ返しに「癌が腎臓に転移して、余命がわずかなのですね」とか言われても、バカにしてんのか、と思うだろう。

家族でもない、初対面の人にかけるべき適切な返しはなかなか浮かばない。

今でも何が正解だったのかわからない。

 

就活も始まったことだし、本当は今日を最後にしばらくお休みする予定だった。

将来のために、就職活動に専念するのは、まぎれもない「正解」だと思う。

けれど、その患者さんが私の名札を見て、「うみこさんね、またね」と言ったので、なんだか「また来なければ」と思ってしまった。

その人にとって、私は「ボランティアさん」ではなく名前と顔を持つ「うみこさん」になってしまったのだ。

別にその患者さんへの同情とか義務感でもない。

私の代わりなんかいくらでもいる。

それでも、「いっときでも心を揺さぶられたことがあったら、それを追わなければならない」というマイルールがわりと強固にある。

だって、生活のなかに「心を揺さぶられる」瞬間なんて、そんなにないんだ。

いっときでもあったなら、追いかけなきゃ、そんなの、うまく言えないけど、なんか違う。

 

そういうわけで、これからも月に数回はボランティアに行くことになった。

来月にはイースターのお祭りがある。

季節のイベントをちゃんと準備計画して行うのって、すごく大事だな、と思う。

ホスピスにいる人はほとんど、二度と同じイベントを迎えない。

季節のイベントや節目を迎えるのって、本当にめでたいことだ。

 

私も、ここ1年くらい、前よりはしっかり季節のイベントを計画してるし、楽しんでいる。

よく一緒に飲む人たち(おもに演劇サークルの先輩で、最悪なお酒の飲み方をする人たち)と、夏にはラフティングやバーベキューをしたし、クリスマスにはごちそうを用意してパーティーをした。

来月にはお花見もする。

計画や準備が億劫で、いつも鳥貴族でグダグダ飲んでるだけだった集団にしては、ずいぶんな進歩だ。

最近は、「季節のイベントをバカにしないでちゃんと楽しむのって、覚えておけるし、みんなで何度も思い出して楽しいし、いいことだね」なんて話をする。

もうすでに今年のクリスマスの予定を立て始めている。

 

 

健康に、正常に機能してるうちはたぶん「春を(夏を、秋を、冬を、新年を)迎えられて嬉しい、めでたい」なんて思わないけれど。

ホスピスにいるうちに、新しい季節に自分がここに立っていることがいかに特別か、いくら祝っても足りないくらいめでたいことなのだと、思うようになった。

 

 

そういうわけで、 もう少し暖かくなったら、ひとりで高尾山に登ろうと思う。

お花見もはりきってするし、夏になったらハイビスカスを育てたい。

クリスマスだって、今から楽しみにしてる。

ぜんぶ祝いたい。

なんだって楽しみにしたい。

 

くたくたに疲れたけれど、今はとにかくそんな気分。