痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

ストーリーテラー

 

 

タクシーに乗るとき、必ず運転手さんに聞くことがある。

「今まで、こわいお客さんって、乗せたことありますか」

 

タクシーに乗るのなんて、だいたい年に数回。

だいたい酔ってるとき。

こちらは若い女の子で、しかも見た目には酔いつぶれてるようには見えないので、けっこう面白い話をしてもらえる。

 

 

これは、以前、渋谷で飲んでて終電をなくしたとき。

 

寡黙な運転手さんが、ボソボソと話してくれたことには。

 

 

「昔ねえ、深夜に、男の人を乗せて」

 

「山梨あたりの、山奥まで行ってくれって言われたんですよお」

 

「こっちが話しかけても、ずっと無言でねえ」

 

「黒い革の手袋をしていて」

 

「気味悪いなあ、と思いながら走ってたんです」

 

「人のいない道をずうっと走り続けて、やっと、目的地に着いて、その人を降ろしたんですねえ」

 

ご、ごくり。

思わず、唾を飲み込んだ。

深夜2時のタクシー、二人きりの密室だ。

正直、コワイ。

 

 

「豪勢な洋館に着いてねえ」

 

「その人は、ドレスメーカーか何かの社長だったらしいんですねえ」

 

 

 

って、えー!

イヤイヤ、えー!全然怖くない!

20分かけてオチがそれか??

雰囲気作りはプロ級だな!

とんだストーリーテラーだよ!

思ってるうちに、家に着いた。

なんだそれ!

 

 

深夜のタクシーには、たまに、稀代のストーリーテラーが乗っていて、知らない世界の話をしてくれる。

それから毎回、私はヘラヘラと「こわいおきゃくさんをのせたことってありますか?」と聞いている。

 

酔っ払い特有の軽薄さで、夜の首都高のプロを取材したい。

東京の暮らしは、幸せだ。