痛ましいほど楽園

言いたいことはありません

祈るように、逆立つように。

今夜は雪が降るそうですね。

自分でもまさかと思うけれど、雪が嫌いすぎて、わんわん泣いてしまった。

 

22歳にもなって天気に泣かされるなんて、思わなかった。

大人は正当な理由なく泣かないものだと思っていた。

正確に言えば、こんなに不安定なこころのまま、年をとるとは思わなかった。

 

泣いてばかりの夜には、10歳の、15歳の、18歳の自分を想う。

思春期の私は想像できただろうか。

大人になってもなお、身がちぎれるように苦しくて、むなしくて、誰かに助けてほしくて、答えのないことばかりが気になって眠れない夜が来るということを。

今感じている孤独は、多感な年頃ゆえの一過性のものではなくて、生涯つきまとう人生の寂しさなのだということを。

誰にも押し付けられない「人ひとりぶんの寂しさ」は、確かにあるということを。

そして「人ひとりぶんの寂しさ」には終わりがないことを。

 

 

思春期の終わりは永遠に訪れない気がします。

いまだに「生きるべきか、死ぬべきか」なんて、15歳までに解決させておくべき議題をもてあまして朝を迎えることがあります。

それでも朝が来れば着替えて化粧をして電車に乗ります。

お金のためにニコニコします。

大人になるということは、親でも恋人でもカウンセラーでもない人にSOSを見せないこと?

他人は私のカウンセラーじゃあない。

人に人は救えません。

 

思春期は終わらない。

こんな脆さはいつかなくなると期待してはいけない。

きっと、30歳になっても雪降る前夜は泣いて過ごす。

無限に。永遠に。

祈るように、逆立つように。

私の存在は有限だけど、私の思春期は永遠です。

 

朝が来るまで生きていられますように。