痛ましいほど楽園

就留女のたのしい毎日

煙だけを追っていた

 

タバコって便利な道具だなあ、とつくづく思う。

 

動揺を隠すためにタバコを吸うことがある。

震える手をごまかす、乱れる呼吸をごまかす、泳ぐ目をごまかす。

 

高校時代、3年間ずっと好きだった人に久しぶりに会った。

相変わらず、人間嫌いで、生活が下手くそだった。

カフェでピザトーストを頼んでも、注文したことを忘れたそのまま帰っちゃうような人で、危なっかしいところがあった。

私なんかより何百倍も頭が良くて、生きづらそうな人だった。

 

今は、彼女と同棲してるらしい。

見た目は全然変わらないのに、他人が嫌いで生活が下手くそなままなのに、それでも人を好きになって、人と生活を共有している、というのが衝撃だった。

 

自分以外の人に「時の流れ」を感じると、自分だけ時が止まっているような気がしてショックを受けてしまう。

私だって4年間で人を好きになって、勉強をして、働いて、こだわりを持ったり捨てたりしながら生きてきた。

私だけ変わってないなんてことはない。

絶対にない。

同じだけの時がちゃんと流れてる。

それでも、「私はいつまでもこんなんで」と思ってしまう。

 

うまく笑えないから、タバコを吸った。

どこを見ていいかわからなかったから、目を伏せた。

ずっと煙だけを追っていた。

タバコがあって良かったと思う。

感情の隠し方ばかりうまくなってる場合じゃない。

ずっと吸っていたから、帰りは気持ち悪くて仕方なかった。

 

 

 

BGM:THE YELLOW MONKEY「プライマル。」

 

 

 

近況.食べられない

なんかヤバい風邪をひいてしまい、3日ほどまともにご飯が食べられてない状態です。

(食べると即お腹を下すので)

 

昨日はたまたま「固形物食べられない仲間」の友達と会って、「固形物食べられないあるある」を話して共感の嵐でした。

まず、体力がなくなってるから階段を上るのに異常に疲れる。

駅の階段のキツさが尋常じゃない。

歩くのも超遅い。

早歩きとかできない。

いつもどおりの時間に家出たら遅刻する。

ふわふわのパンとかカステラなら食べられるかな?と思って食べてみるけど、絶対無理。

食べた後、罠かな?ってくらい体調が悪くなる。

味噌汁と野菜ジュースが命綱。

ていうか、あらゆる飲食が賭けになる。

 

 

でも、こういう時に限っておいしいお菓子やパンをもらったりするもので、なおさら悔しい。

食べられないと余計に食べ物のことばかり考えてしまうもので、ついに昨日は「理想の三色パン」を発明してしまいました。

発表すると、「ずんだ、こしあん、ピーナッツバター」です。

他にも栗餡やイチゴジャムなどの案もありましたが、全体のバランスを考えてこの三つに決まりました。

 

家には、ベンアンドジェリーズのアイスや、リベルターブルのトリュフとチーズのマドレーヌ、ディーンアンドデルーカのシトロンマフィンがあって、どれもこれも魅力的。

リスクがあってでも食べたい!と思ってしまう。

でも同時に、お腹を下してトイレにこもってる時の惨めな気持ちも、かなり鮮明に体に刻まれてるので、結局、常温のポカリだけが私の友達です。

 

 

生きづらさについて、あるいは彼女について。

 

大好きな友達のことを書きます。

 

大学一年の時に知り合った、一つ年上の女の子。

小さなタトゥーを体の3箇所くらいに入れていて、緑とか、銀とか、奇抜な髪の色をしていた。

いつも高くてごついヒールを履いて、ピタッとした、隙のない服を着ていた。

見た目も尖っていたけれど、中身はもっと尖っていて、彼女の口癖は、「23歳になったら自殺する」だった。

 

私がとくに好きだったのは、悪口がめちゃくちゃ上手なところ。

「病気のチワワみたいな顔」とか、「手がすでにブス」とか、パワーワードをバンバン産み出して、バサバサ切り捨てていくような子だった。

 

その反面、友人相手にはどこまでも懐が大きくて、気前が良かった。

私がどんなふうになったって、どんな人と付き合ったって肯定してくれた。

ほんとうに愛情深い人だった。

 

美人で、ストイックで、料理も歌もプロみたいに上手くて、何もかもを持っているように見えるのに、何もかもを嫌っているような女の子だった。

いかつい見た目とは裏腹に、虚弱な体質で、すぐに疲れてしまうから、放っておけない部分もあった。

精神的にも、表面上は気が強そうな態度をとるけれど、その実、孤独感が強くて、目が離せない不安定さがあったので、私は内心ヒヤヒヤしていたのだ。

「23歳で自殺する」という言葉が、ハッタリで済ませられないようなリアルさで、私に取り憑いていた。

 

 

 

そんな彼女が、去年、専門学校を卒業して、就職した。

アパレルの販売職で、「3年間働いて、英語身につけて、憧れてる海外ブランドに転職する!」と言っていた。

「23歳で自殺する」が口癖だった彼女が、数年先の未来を見ている、と思うと、なんだか泣けてきてしまってしょうがなかった。

 

出会った頃は、ひとりで生きていく、誰もわかってくれない、みんなカス、でもそんな自分が一番カス、って顔をしていた。

私は彼女ほど奇抜な格好をする勇気もなかったけれど、呼応する部分はあったのかもしれない。

生きづらい10代の感性で、自分の脆さを信じて、周りを切り捨てることに必死だった。

あれから3年経って、私も彼女もティーンではなくなった。

人と出会って、別れた。

人を好きになったり、嫌いになったり、選んだり、選ばれなかったりした。

彼女は唯一の家族を亡くし、後悔と喪失の中を、手探りで、少しずつ立ち上がっていった。

 

 

彼女が就職した時、奇抜で派手なものを好む彼女に、初めてシンプルなピンクの口紅を贈った。

無難で、誰にでも似合うピンクを選んだ。

就職するなら、こういうものも必要だろうと思ったから。

 

あれから10ヶ月経って、彼女はまだ、健康に働いている。

病弱で、すぐバテてしまう彼女が、と驚いた。

(以前、私もアパレル販売のバイトをしていたけれど、ものすごく体力と気力のいる仕事だった)

「体調崩しても休めないからさ、必死に生きてるよ!」と言っていた。

必死に生きてるのか、ならよかった、と心底思う。

 

彼女は今年、24歳になる。

自分の生きづらさに蓋をして、必死こいて生きるほうを選んだのだ。

美しい、と思う。

かつて、尖り散らしていた彼女が大好きだった。

繊細で、屈折した、生きづらそうな悪意が好きだった。

でも、これからの彼女がかつての繊細さを失って、たくましく、所帯染みながら、目の前の生活に必死になったとしても、いや、そうであればこそ、ますます美しいなあと思うだろう。

 

 

ダサくてもいいからさあ、なりふり構わず、必死こいて生きようね。

私もあなたも。

 

 

 

微熱、生活、闘争、雨です。

 

なんだか訳がわからないくらい疲れて、何もする気が起きない。

熱を測ったら、微熱。

他に症状はないから風邪とかじゃなさそう。

疲れて熱が出ただけらしい。

たしかに、バイトと授業とボランティアが詰まっていて、休みがなくて、少し疲れていた。

けど。

 

なんだか情けなくて、泣けてきてしまった。

 

最近はそんなことばかりだ。

私は健康で、タフで、無茶のできる女の子だったはずなのに。

こんなにすぐ熱を出したり、食あたりくらいでパニックになったり、そのことに情けなくなって泣いたり。

こんなんじゃなかったのに。

「あるべき私の姿」からどんどん離れていく。

こんなんじゃなかった。

もっと堂々と生きていた。

 

2017年の1月だって、2016年の12月と地続きだ。

急にうまくいくようになるはずがない。

わかってる。

わかってるけど、賭けてたんだ。

悪いものは全部、新年の訪れとともに逃げていくと。

合理性はないけど、絶対そうに決まってると思ってたんだ。

だって、そうじゃないと救われない。

頑張れない。

何も楽しみにできない。

めそめそした気分は全部2016年の終わりに置いてきたつもりだった。

はずなのに。

実際は地続きの2017年1月8日を生きている。

めそめそしながら。

こんなんじゃなかった、とか言いながら。

 

情けない、理想と違う、こんなの私じゃない、なんてみっともない呪詛を吐きながら、泣いている。

それでも朝になったらお化粧をして電車に乗って、お金のためにニコニコする。

生活は戦いだ、と心底思う。

この死にやすい体と心、たったひとつで、どこまでも遠く、続けなければいけない戦いだ。

情けないけど、戦っている。

やめてない。

生活を続けている。

続けている限り、負けてはないのだ。

地を這っても、泥水を啜っても、まだ負けてない。

貧弱で情けないけど、破れかぶれで騙し騙し、毎日を戦ってる。

そう思えば、あと一日くらいはがんばれるかも。

 

 

 

プリンとスリルショックサスペンス

 

どうも、プリンで食あたり女です。

 

 

 

韓国のスタバでまとめ買いし、大事に持って帰ってきたプリン。

いまやとっくに日本でも発売開始しているプリン。

賞味期限は16.12.04。

「まあ……いけるっしょ……もったいないし……」と昼に半分、夜にもう半分を食べて、6時間。

 

 

突然お腹がゆるくなる。

なんとなく気持ち悪い気もする。

寒気もする。

えっ、微熱もある!

 

「ノ、ノロだ!」

と大慌てして、友達や家族に連絡しまくる深夜0時。

 

 

私は嘔吐恐怖症のため、冬場は毎日がスリルショックサスペンスホラー。

ノロとの戦い。

生牡蠣は大好きだけど我慢。

手洗い30秒とうがいはマスト。

外出先のトイレはなるべく使わない。

 

ノロかも!?と思った瞬間、パニックで「今日が私の命日だ……」とばかりにSOSを出した。

そして、こんなに気を張って予防してるのに、それでもかかるのか……すべての努力は無駄なのだ……と、この世の終わりみたいな気持ちになった。

 

 

結果、プリンでただの食あたり。

 

2時間ですっかり元気になった。

そして、理性を取り戻したとたん、22歳にもなってプリンで食あたりして死ぬ死ぬ騒いだことがめちゃくちゃ恥ずかしくなった。

これが成人した人間の姿か。

母親からは「1ヶ月も過ぎた乳製品はダメに決まってるでしょう。娘に常識がなくて悲しい」とLINEが来ていた。

私も悲しい。

 

結果的に1ヶ月過ぎたプリンを食べても、ちょっとお腹がゆるくなって、ちょっと微熱が出ただけで済んだので、やっぱり私の胃腸は強いらしい。

ただ、いい歳こいてプリンでパニックは相当恥ずかしかったので、もう無茶はしない。

 

あー、なんだかとっても疲れた。

昼と夜、二回に分けて食べたので、今は二回めのスリルショックサスペンスと戦ってます。

おやすみなさい。

 

生活.2017(せいかつどっとにせんじゅうなな)

 

あけましたね。

おめでとうございます。

 

去年は、自分の意思の及ばないことが多く、挫けた思いの多い年となりました。

演劇サークルをやめたり、ボランティアを始めたり。

思い立って風呂場で髪を10センチ切り落としたり、酔った勢いでピアスを開けたり。

 

所属するものがなく、すなわち信じる規律や、辿り着くべきゴールもない。

そんな、地に足のつかない心地のまま、どうにか自分が自分のまま存在する方法を探していた気がします。

年末にさらに髪を短くして、(髪型くらいで「らしさ」が変わるわけではないのは承知だけれど)すごく「私らしく」、しっくりきて、気に入ってます。

 

今年の目標は、そりゃまあ学生最後の一年としてとか、就職とか、いろいろあるんだろうけど、そのへんはわりとどうでもいいなと思います。

 

プレステ4を手に入れる(ジョジョのゲームをやるため)。

行きつけのお店を作る(クリスマスにふらっと行ったバーで、常連さんたちに混ぜてもらって飲んだのが、すごく楽しかったので)。

 

これを当面の目標にします。

一年先にどうなっていたいとか、ライフプランとか、たまったもんじゃないよ。

あるのは、生活と私だけ。

生活と私しか見えないうちは、それだけを大事にしようと思います。

あ、ブログも頑張って続けるぞ!

 

よろしくお願いします。

 

 

イブに寄せて

 

チョコレート屋さんでアルバイトをしていると、たまに、切実な人に出会う。

 

たとえば、

「付き合ってない人とクリスマス過ごすんですけど、これあげたら重いですかね」

って相談してくる、クールっぽい男の子とか。

 

たとえば、友達に

「こいつ明日好きな先輩にあげるんすよ〜(笑)まあ確率は低いと思うんですけど(笑)」

ってからかわれて、

「なんでそんなこと言うんだよ(笑)」

って言いながら選んでる若い男の子とか。

 

たとえば、

「お伺いしてもよろしいですか?年上の殿方に差し上げたいのですけれど、男性に人気のチョコレートはどちらでしょうか?」

と尋ねてくる品の良すぎる女性とか。

 

くらくらする。

彼らは、たぶん、必死だ。

普通に買い物をしているけど、すごく必死なはずだ。

一箱のチョコレートに何を賭けているのだろうか。

他者の心に一歩踏み出す勇気を、どれだけ乗せているのだろうか。

その人に関することなら誰かに相談せずにはいられない(デパートの販売員にですら!)ような想いとは、どれほどのものなのだろうか。

 

これは憶測でしかないけれど、彼らはしょーもない、カスみたいな言葉を使わずに恋愛をしてるんだろうな、と思う。

たとえば、「アリ」とか「ナシ」とか、「告白されればアリ」とか、「メリット」とか「デメリット」とか、「惚れたら負け」とか。

 

恋、ぜんぜん絶滅してない。

文化としての「恋」が生きている、と思う。

予防線も張らないで、他者にむきだしの身を晒す行為は、いまだに、いや多分、いつまでたっても普遍的であり続ける。

 

普遍的であってほしい。

いつの時代になっても、むきだしの自分を見せる人はまぶしくて、勇気を出すことは格好良くて、決して「負け」なんかじゃないということ。

嘘は格好悪くて、予防線はダサくて、人の足元を見ることは卑しくて、そんなものは決して優位でも、「勝ち」でもないということ。

恋が何度詠まれて、描かれて、歌われても、私にとって、誰かにとって、未知で、おどろきをもたらすものであるということ。

そういう「恋」の文化が、人を駆り立てる感情が、駆り立てられた人の切実な行為すべてが、何度歌われて陳腐化してもなお、普遍的に新しくあってほしい。

 

 

元彼の悪口が尽きない私みたいな女がこんなことを言うのはなんともおこがましいけれど、それでも必死な人を見ると、願わずにはいられない。

彼らが永遠の勝者であることを。

どうかよいクリスマスを。